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2006年11月

人の痛み

他人の痛みが分かる人間になろう…って今そんなこという学校の先生っているのか?(笑)
精神論じゃなく身体的な他人の痛みの話に限ると、これは相当難しい。自分が経験したことじゃないと。ゲストブックで腱鞘炎患者の方が訴える不便や痛みは手に取るように分かる。それが分かるから辛さも不安も分かる。
でも、身内に喘息もちがいるんだけど、それは近くにいても手に取るようには分からない。咳が続く辛さは風邪がひどくなった時に経験したようなことからしか想像できない。そこから派生する不安とかあるんだろうか?私が持ってるような、自分の体を信頼できないことへの不安とか、恐れとか?
よく、病院へ行っても医者でさえ解ってくれないと嘆く腱鞘炎の患者さんの嘆きを聞く(読む)。腱鞘炎患者は殆どが「辛さを解って欲しい」と思っている。痛くても生活しなければならない、使わなければならない辛さ。使わないことが治療であるにも関わらず使わないと生活できないジレンマとか。
でも考えてみると無理だわ。わかるわけない。そういう経験を、たとえ違う病気でもしたことがある人じゃないと。ただ、たとえ痛みは分からなくても患者の言う痛い場所がどういう動作の時に使っているということが分かれば、何をする時に痛いだろうということは想像出来るわけで、そういう専門家はある程度不便や辛さを含みを持って推し量ることが出来る。まあ多分に本人の人格によるところが大きいが、視野の広い客観性のある人なら想像力にも長けている可能性大。
だから患者の方も解ってもらう努力しないといけないです。私もけっこういろんな表現してきました。職業柄オリジナリティのある表現は得意だってこともあって、色々な比喩、例え話、その場で思いついた言葉、擬態語を片っ端から並べる。とりあえず何でも面白がって聞いてくれる先生だったのが幸いでした。勿論いろんな不便も量ってくれてます。それでも痛さがわかるとは思わない。それは自分が彼の痛さが想像できないから。私ができないってことは彼もできないはず(もし経験してなければ)。
ところで、患者の痛みを客観的に知る方法として医者の問診には色々な想定質問がある。例えばデケルバンが痛いと言うと「雑巾絞ると痛いでしょう?」と聞いて来るお医者さんが必ず何人かいる。最もポピュラーなフィンケルシュタインテスト(親指を入れて握りこぶしのやつ)さえしないお医者さんでもそう言うし文書でもそういう説明を何度か見たことがある。教科書にそう書いてあるんかもしれんが、雑巾がデケルバンの痛みの象徴って今日び雑巾なんか絞らんでも最低限生活出来るっちゅーに。嘆いている患者は雑巾よりもトイレでパンツを降ろすのに四苦八苦してる。パンツ下ろせへんと要介護なんよ。昔は働き者の主婦の病気って思われてたのか?まず教科書書き直して欲しいって感じだけど。まあ、デケルバンと言って雑巾云々しか言わないお医者さんは腱鞘炎に詳しくないと見ていいと思います。
とにかく何が言いたいかというと、どんな名医でも他人の痛さを共感することはできない。医師は知識でそれを補い、患者は伝える努力を惜しんではいけない、が今日の結論(w

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秋刀魚を手術(?)

10月中旬の話ですが、秋刀魚のスパゲティーを作った(旬やね!)。テレビでやってて、ダンナと2人で「美味しそうかも♪」ってことになって作ることに。レシピが大雑把で分量も書いてなかったのでかなり我流。とにかく初体験、秋刀魚の3枚おろし!
秋刀魚と言えば塩焼きしかしたことなくて、しかも内臓が美味しい、うろこもなくて一切料理をしなくていい魚だ。
あまり切れない包丁で頭を落とし、お腹を裂き内臓を引きずり出す。
包丁が骨に当たるのを感じながら両方の身と背骨を切り離して行く。
背骨に残った身がもったいないので包丁でこそげ取って行く。
気がつくとまな板の上が血だらけだ(青魚は真っ赤な血液が多い)。
その時なんだか怖くなった。主婦ってある意味、外科医並に動物の体内触ってるんだ。
解剖が好きだと思った。でも私が好きなのは“解剖図”なのかもしれないな。絵とか図とかが好きなのよ(笑)
ところで、こんなこと思ったのはゴム手袋のせい。(或いはメル友の中にお医者さんがいるからか?)
自家製CMバンドを台所で使うために引っ張り出して来たゴム手袋。それも炊事用手袋じゃなくて、肛門科の先生が患者の肛門に指を突っ込むときに使うやつ(笑)。ティッシュの箱みたいなのに100枚入ってて使い捨ての。それをはめて包丁が切れないので医療用メスだったら綺麗にさばけるだろうなあ、肉を切る専門の道具だもんなあ、とか考えながらやってたから。
このゴム手袋って妙な感触だ。数日前にやっぱり料理中に鮭の大きな切り身をつかんだら、予想よりずっしりしててぬるぬるして滑って落ちそうになった。薄いから感触が伝わって来るのに、素手で触るのとは全然違う!薄い手袋1枚で生ごみなんかも平気で触れる。鮭をつかんだときも「人間の内臓とかもこんな感じなのかな」と思った。考えもしなかったよ。素手で触ってた時は食材だと思ってたのにゴム手袋のせいで生き物だと感じた。
でも生きてる動物を生かしたまま扱うのは医者や獣医だけだ。彼らも薄いゴム手袋1つで(たぶん私が使ってるのなんかよりずっと薄くて上等なヤツ)、自分の人としての日常を守ってるのかな。
料理は芸術なんて言いたくないな。もちろん自分の料理とかじゃなくて「正に芸術!」とか言われてる料理のことだけどね。芸術のために生き物殺したらあかんやろ。

さて、味は絶品でした。秋刀魚とトマトソースの相性がこんなにいいとは思わなかった。市販のトマトソース使ってよかった(笑)
どうして秋刀魚にうろこがないか、という話はそのうち3行日記に。

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