« 秋刀魚を手術(?) | トップページ | 医者選びは恋人選びに似ている(byみのもんた) »

人の痛み

他人の痛みが分かる人間になろう…って今そんなこという学校の先生っているのか?(笑)
精神論じゃなく身体的な他人の痛みの話に限ると、これは相当難しい。自分が経験したことじゃないと。ゲストブックで腱鞘炎患者の方が訴える不便や痛みは手に取るように分かる。それが分かるから辛さも不安も分かる。
でも、身内に喘息もちがいるんだけど、それは近くにいても手に取るようには分からない。咳が続く辛さは風邪がひどくなった時に経験したようなことからしか想像できない。そこから派生する不安とかあるんだろうか?私が持ってるような、自分の体を信頼できないことへの不安とか、恐れとか?
よく、病院へ行っても医者でさえ解ってくれないと嘆く腱鞘炎の患者さんの嘆きを聞く(読む)。腱鞘炎患者は殆どが「辛さを解って欲しい」と思っている。痛くても生活しなければならない、使わなければならない辛さ。使わないことが治療であるにも関わらず使わないと生活できないジレンマとか。
でも考えてみると無理だわ。わかるわけない。そういう経験を、たとえ違う病気でもしたことがある人じゃないと。ただ、たとえ痛みは分からなくても患者の言う痛い場所がどういう動作の時に使っているということが分かれば、何をする時に痛いだろうということは想像出来るわけで、そういう専門家はある程度不便や辛さを含みを持って推し量ることが出来る。まあ多分に本人の人格によるところが大きいが、視野の広い客観性のある人なら想像力にも長けている可能性大。
だから患者の方も解ってもらう努力しないといけないです。私もけっこういろんな表現してきました。職業柄オリジナリティのある表現は得意だってこともあって、色々な比喩、例え話、その場で思いついた言葉、擬態語を片っ端から並べる。とりあえず何でも面白がって聞いてくれる先生だったのが幸いでした。勿論いろんな不便も量ってくれてます。それでも痛さがわかるとは思わない。それは自分が彼の痛さが想像できないから。私ができないってことは彼もできないはず(もし経験してなければ)。
ところで、患者の痛みを客観的に知る方法として医者の問診には色々な想定質問がある。例えばデケルバンが痛いと言うと「雑巾絞ると痛いでしょう?」と聞いて来るお医者さんが必ず何人かいる。最もポピュラーなフィンケルシュタインテスト(親指を入れて握りこぶしのやつ)さえしないお医者さんでもそう言うし文書でもそういう説明を何度か見たことがある。教科書にそう書いてあるんかもしれんが、雑巾がデケルバンの痛みの象徴って今日び雑巾なんか絞らんでも最低限生活出来るっちゅーに。嘆いている患者は雑巾よりもトイレでパンツを降ろすのに四苦八苦してる。パンツ下ろせへんと要介護なんよ。昔は働き者の主婦の病気って思われてたのか?まず教科書書き直して欲しいって感じだけど。まあ、デケルバンと言って雑巾云々しか言わないお医者さんは腱鞘炎に詳しくないと見ていいと思います。
とにかく何が言いたいかというと、どんな名医でも他人の痛さを共感することはできない。医師は知識でそれを補い、患者は伝える努力を惜しんではいけない、が今日の結論(w

|

« 秋刀魚を手術(?) | トップページ | 医者選びは恋人選びに似ている(byみのもんた) »

腱鞘炎総論」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人の痛み:

« 秋刀魚を手術(?) | トップページ | 医者選びは恋人選びに似ている(byみのもんた) »