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狂気☆その2 (その1から続く)

手術すると当然傷痕が残る。多くの人は目に見えるものだけに言及する。
でも患者本人は傷痕なんかにひるまない。
自分にとって一番深刻な傷がどこにあるかを判っている。

家族も判っていたと思う。
私に最初に手術を提案したのは母だった。発症から半年くらいのことだった。
当時の私は病院を探せず、正直整形外科に背を向けていたので身動きとれなかった。
(最初に行った病院のせいと、あとは自分の無知のせい)
発症から4年以上経ったある日母が電話してきて、整形外科の名前を教えてくれた。
実家に出入りの植木屋さんが通ってるという医院をわざわざ聞いてくれたのだ。
一緒に住んでいたわけでもないのに、常に気にかけてくれていたのだと知った。
そこからどうやって手術に至ったかや術後の経緯は『腱鞘炎ノート』の手術のページにあるとおり。
色々なことが出来るようになり、人生に希望が出てきた頃だ。
その頃、実家に帰って「あれも、これも、できるねん!」と私は報告したと思う。
覚えているのは、私の報告を聞いた時母の顔が一瞬パッっと明るくなって、
安心したように見えたこと。
母を瞬発的そんな顔にさせたのは私の言葉ではない。
その時の、たぶん、私の表情がとても幸せそうだったからだと思う。
何故なら、その頃の私は本当に人生を愛おしく、幸せを感じていたから
それが顔に出ても不思議はない。
逆を言えば、何年も、会うたびに暗い顔をしていたのだろう。
同じ主婦でもある母は、漫画を書けない気持ちはわからなくても
週一で帰って、おかずを作ってもらって持って帰る私の不自由な日常に
きっと心を痛めていただろう。
手術が決まった時、父は思い止まらせたがった。母は何も特には言わなかった。
そして父は手術の日、心配でついてきてくれた。
整形外来の待ち合いで待っていて、私が短時間で帰ってきたので拍子抜けしたようだった。
両親は、手術してから私が普通のことが普通にできるようになったことを、時間をかけて発見することになった。(一緒に住んでないもので)
発見する度に新鮮に喜んだ。何度も何度も「そんなこと出来るんか!」と言って喜んだ。
たかが腱鞘炎、されど腱鞘炎。ずいぶん心配をかけていたのだと思った。

手術するというと必ず反対する人が居る。後遺症が、危険が、親から貰った体をキズモノにするなんてと
でも、そこに至るまでには、その人がそう決めるに至る経緯がある。
恐怖心も叶わないほど心が壊れるような経験が。
それを傍で見ている身内は同じように心を痛めるのだ。
私の母は手術を敢行したドクターのことを「あなた(=私)の恩人」と呼ぶ。

このブログに付いてるアクセス解析で、検索用語がわかる。
その中にたびたび「腱鞘炎・名医」という語句を発見する。
名医なんてワードを入れるのだから手術を考えている方々だろう。
もう十分に苦しんだなら、手術室でこの狂気の宴を共にしてくれるあなただけの「名医」と巡り会い
病んだ日々を思い出に変えられる時が来ることを心からお祈りします。

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