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2009年12月

狂気に至らず

久しぶりに左のデケルバンが痛い。
発症から9年、未だに機を見ては再発。
左だから深刻にならずに、かといって完治することもなく現在に至る。
結局ここも手術する以外に完治しないのだろうけど、そこまでして完治を目指したいとは思わない。
もし今主治医に奨められたとしても
(有り得ないけど・笑)真っ平ゴメンです。
この下の2本の記事にも書いたように、手術をしたいなんて思うのは
不便で辛くて痛くて泣けてきて、気力が尽きた時に限るのです。

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狂気☆その2 (その1から続く)

手術すると当然傷痕が残る。多くの人は目に見えるものだけに言及する。
でも患者本人は傷痕なんかにひるまない。
自分にとって一番深刻な傷がどこにあるかを判っている。

家族も判っていたと思う。
私に最初に手術を提案したのは母だった。発症から半年くらいのことだった。
当時の私は病院を探せず、正直整形外科に背を向けていたので身動きとれなかった。
(最初に行った病院のせいと、あとは自分の無知のせい)
発症から4年以上経ったある日母が電話してきて、整形外科の名前を教えてくれた。
実家に出入りの植木屋さんが通ってるという医院をわざわざ聞いてくれたのだ。
一緒に住んでいたわけでもないのに、常に気にかけてくれていたのだと知った。
そこからどうやって手術に至ったかや術後の経緯は『腱鞘炎ノート』の手術のページにあるとおり。
色々なことが出来るようになり、人生に希望が出てきた頃だ。
その頃、実家に帰って「あれも、これも、できるねん!」と私は報告したと思う。
覚えているのは、私の報告を聞いた時母の顔が一瞬パッっと明るくなって、
安心したように見えたこと。
母を瞬発的そんな顔にさせたのは私の言葉ではない。
その時の、たぶん、私の表情がとても幸せそうだったからだと思う。
何故なら、その頃の私は本当に人生を愛おしく、幸せを感じていたから
それが顔に出ても不思議はない。
逆を言えば、何年も、会うたびに暗い顔をしていたのだろう。
同じ主婦でもある母は、漫画を書けない気持ちはわからなくても
週一で帰って、おかずを作ってもらって持って帰る私の不自由な日常に
きっと心を痛めていただろう。
手術が決まった時、父は思い止まらせたがった。母は何も特には言わなかった。
そして父は手術の日、心配でついてきてくれた。
整形外来の待ち合いで待っていて、私が短時間で帰ってきたので拍子抜けしたようだった。
両親は、手術してから私が普通のことが普通にできるようになったことを、時間をかけて発見することになった。(一緒に住んでないもので)
発見する度に新鮮に喜んだ。何度も何度も「そんなこと出来るんか!」と言って喜んだ。
たかが腱鞘炎、されど腱鞘炎。ずいぶん心配をかけていたのだと思った。

手術するというと必ず反対する人が居る。後遺症が、危険が、親から貰った体をキズモノにするなんてと
でも、そこに至るまでには、その人がそう決めるに至る経緯がある。
恐怖心も叶わないほど心が壊れるような経験が。
それを傍で見ている身内は同じように心を痛めるのだ。
私の母は手術を敢行したドクターのことを「あなた(=私)の恩人」と呼ぶ。

このブログに付いてるアクセス解析で、検索用語がわかる。
その中にたびたび「腱鞘炎・名医」という語句を発見する。
名医なんてワードを入れるのだから手術を考えている方々だろう。
もう十分に苦しんだなら、手術室でこの狂気の宴を共にしてくれるあなただけの「名医」と巡り会い
病んだ日々を思い出に変えられる時が来ることを心からお祈りします。

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狂気 ★その1

日常的な感覚からすると、手術なんて狂気の沙汰だと思う。
人が手術を考える時、その心は病んでいる。
手術のメスのキズは「創る」と書いて「創(キズ)」と読む。人為的に創られる創だからだ。
それを自分から望むなんてまともな人が考えることじゃない。
普通に素面で、冷静で、健康な精神ならそんな結論は出ない。
先ず、怖いし痛いし、生物的に有り得ない。自分も今なら怖いと感じる。
それを怖いと感じられる今は、それだけ幸せなんだと思う。

知人に、脚を切断した人が居る。
事故とかじゃなく、さあ今から切るぞと。半身麻酔で意識のある中での手術だったと聞いたような憶えがある。
途中で麻酔が足りなくて痛かったとか何とか。
ちょっと定かではないが、もしそうだったっら健康な自分にはちょっと想像できない。
機械が回って、自分の足が切られていく音が聞こえる状態。
丸太を切るように足を切断するなんて、する方もされる方も、日常の感覚じゃない。
切る方も切られる方も、意識の底に深い烙印を押し当てられたことだろう。
切る方はプロの自覚でそれを乗り切っていくのだと思う。
切られる方はどんな心境で横たわっていたのだろう。
夜中に突然、これから手術と言われた時はさすがに慄いたと彼は言う。
でもその手術は彼が切望したものだった。
どんな思いが人に「自分の足を切ってくれ」と言わしめるのだろう。
どんな経験をすれば、恐怖と不安に慄きながらその間おとなしく身を横たえることが出来るのだろう。
人が自分から手術を希望するというのは、決して生易しい状況じゃない。

体を壊すと心が病む。
長くかかれば、折り合いをつける場合もあればいっそう病んでいく場合もある。
痛みとか、不安とか、希望を失うとか、果てしない葛藤とか、段々笑えなくなって、どんどん孤独に苛まれる。
いつまで?いつまで?いつまで?いつまで?と毎日問いながら暮らす。
朝体が覚醒するにつれ痛みも起きる。夜寝る時はこのまま目覚めなければいいと思う。
痛いだけの朝なんか来なくていいとさえ思う。
そんな自分には、眠れるくらいの痛みならまだマシだよ、とか言う場合と比較する気はない。
そうやって万策つきて心が折れるギリギリのところで、手術という決断に至る。
それは、まともな精神では決断できないことだ。
10年前腱鞘炎の手術に臨んだ日、私は期待にワクワクして手術台に乗った。少しも怖くなかった。
たぶん壊れていたんだと思う。
見た目健康な肌にメスを入れる、その狂気じみた行為が甘美に思えるほど、あの頃は疲れていた。
今はもう過去ログしかないが、掲示板に寄せられた書き込みの中にも似たような記述があった。
多くの腱鞘炎患者は体の痛みと共に、心の痛みと闘っている。とても孤独な闘いを闘っている。
~つづく~

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