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狂気 ★その1

日常的な感覚からすると、手術なんて狂気の沙汰だと思う。
人が手術を考える時、その心は病んでいる。
手術のメスのキズは「創る」と書いて「創(キズ)」と読む。人為的に創られる創だからだ。
それを自分から望むなんてまともな人が考えることじゃない。
普通に素面で、冷静で、健康な精神ならそんな結論は出ない。
先ず、怖いし痛いし、生物的に有り得ない。自分も今なら怖いと感じる。
それを怖いと感じられる今は、それだけ幸せなんだと思う。

知人に、脚を切断した人が居る。
事故とかじゃなく、さあ今から切るぞと。半身麻酔で意識のある中での手術だったと聞いたような憶えがある。
途中で麻酔が足りなくて痛かったとか何とか。
ちょっと定かではないが、もしそうだったっら健康な自分にはちょっと想像できない。
機械が回って、自分の足が切られていく音が聞こえる状態。
丸太を切るように足を切断するなんて、する方もされる方も、日常の感覚じゃない。
切る方も切られる方も、意識の底に深い烙印を押し当てられたことだろう。
切る方はプロの自覚でそれを乗り切っていくのだと思う。
切られる方はどんな心境で横たわっていたのだろう。
夜中に突然、これから手術と言われた時はさすがに慄いたと彼は言う。
でもその手術は彼が切望したものだった。
どんな思いが人に「自分の足を切ってくれ」と言わしめるのだろう。
どんな経験をすれば、恐怖と不安に慄きながらその間おとなしく身を横たえることが出来るのだろう。
人が自分から手術を希望するというのは、決して生易しい状況じゃない。

体を壊すと心が病む。
長くかかれば、折り合いをつける場合もあればいっそう病んでいく場合もある。
痛みとか、不安とか、希望を失うとか、果てしない葛藤とか、段々笑えなくなって、どんどん孤独に苛まれる。
いつまで?いつまで?いつまで?いつまで?と毎日問いながら暮らす。
朝体が覚醒するにつれ痛みも起きる。夜寝る時はこのまま目覚めなければいいと思う。
痛いだけの朝なんか来なくていいとさえ思う。
そんな自分には、眠れるくらいの痛みならまだマシだよ、とか言う場合と比較する気はない。
そうやって万策つきて心が折れるギリギリのところで、手術という決断に至る。
それは、まともな精神では決断できないことだ。
10年前腱鞘炎の手術に臨んだ日、私は期待にワクワクして手術台に乗った。少しも怖くなかった。
たぶん壊れていたんだと思う。
見た目健康な肌にメスを入れる、その狂気じみた行為が甘美に思えるほど、あの頃は疲れていた。
今はもう過去ログしかないが、掲示板に寄せられた書き込みの中にも似たような記述があった。
多くの腱鞘炎患者は体の痛みと共に、心の痛みと闘っている。とても孤独な闘いを闘っている。
~つづく~

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