その他

記事別アクセス TOP5

1) 母指ばね指とその手術

2) 治療について【Fainal Edition】

3) ディナゲスト 効果と副作用(3)

4) 自家製CMバンドの作り方

5) ケナコルトとステロイドの話

意外とディナゲストの情報を探しておられる方が多いのだなと思う。

|

トリプタンの効かない頭痛

トリプタン製剤は血管を収縮させて片頭痛を治す薬です。
だから、血管拡張を原因としない頭痛には効きません。
そういう時はいわゆる痛み止め(頭痛薬)の方が効くかもしれない。
でもどの痛みかっていうのがよくわからない。
混合してる場合もある。
てか、血管拡張以外の痛みの原因はさらにわからん。
例えば、最初にトリプタン飲んでだいぶマシになって
暫くしてからまた鈍く痛み出し、もう一回飲んだら今度は効かなくて
しょうがないからロキソニン(消炎鎮痛剤)飲んだら効いた…とか。

頭痛の種類に、片頭痛と並んで緊張型頭痛というのがある。あともう一つ群発ナントカっていうのと。
片頭痛と緊張型は混在するらしい。確かに今けっこう肩凝ってるよな。

↓よかったらポチっとお願いします^^

ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 病気ブログ 手足・腕・膝の病気へ
にほんブログ村

|

狂気☆その2 (その1から続く)

手術すると当然傷痕が残る。多くの人は目に見えるものだけに言及する。
でも患者本人は傷痕なんかにひるまない。
自分にとって一番深刻な傷がどこにあるかを判っている。

家族も判っていたと思う。
私に最初に手術を提案したのは母だった。発症から半年くらいのことだった。
当時の私は病院を探せず、正直整形外科に背を向けていたので身動きとれなかった。
(最初に行った病院のせいと、あとは自分の無知のせい)
発症から4年以上経ったある日母が電話してきて、整形外科の名前を教えてくれた。
実家に出入りの植木屋さんが通ってるという医院をわざわざ聞いてくれたのだ。
一緒に住んでいたわけでもないのに、常に気にかけてくれていたのだと知った。
そこからどうやって手術に至ったかや術後の経緯は『腱鞘炎ノート』の手術のページにあるとおり。
色々なことが出来るようになり、人生に希望が出てきた頃だ。
その頃、実家に帰って「あれも、これも、できるねん!」と私は報告したと思う。
覚えているのは、私の報告を聞いた時母の顔が一瞬パッっと明るくなって、
安心したように見えたこと。
母を瞬発的そんな顔にさせたのは私の言葉ではない。
その時の、たぶん、私の表情がとても幸せそうだったからだと思う。
何故なら、その頃の私は本当に人生を愛おしく、幸せを感じていたから
それが顔に出ても不思議はない。
逆を言えば、何年も、会うたびに暗い顔をしていたのだろう。
同じ主婦でもある母は、漫画を書けない気持ちはわからなくても
週一で帰って、おかずを作ってもらって持って帰る私の不自由な日常に
きっと心を痛めていただろう。
手術が決まった時、父は思い止まらせたがった。母は何も特には言わなかった。
そして父は手術の日、心配でついてきてくれた。
整形外来の待ち合いで待っていて、私が短時間で帰ってきたので拍子抜けしたようだった。
両親は、手術してから私が普通のことが普通にできるようになったことを、時間をかけて発見することになった。(一緒に住んでないもので)
発見する度に新鮮に喜んだ。何度も何度も「そんなこと出来るんか!」と言って喜んだ。
たかが腱鞘炎、されど腱鞘炎。ずいぶん心配をかけていたのだと思った。

手術するというと必ず反対する人が居る。後遺症が、危険が、親から貰った体をキズモノにするなんてと
でも、そこに至るまでには、その人がそう決めるに至る経緯がある。
恐怖心も叶わないほど心が壊れるような経験が。
それを傍で見ている身内は同じように心を痛めるのだ。
私の母は手術を敢行したドクターのことを「あなた(=私)の恩人」と呼ぶ。

このブログに付いてるアクセス解析で、検索用語がわかる。
その中にたびたび「腱鞘炎・名医」という語句を発見する。
名医なんてワードを入れるのだから手術を考えている方々だろう。
もう十分に苦しんだなら、手術室でこの狂気の宴を共にしてくれるあなただけの「名医」と巡り会い
病んだ日々を思い出に変えられる時が来ることを心からお祈りします。

|

狂気 ★その1

日常的な感覚からすると、手術なんて狂気の沙汰だと思う。
人が手術を考える時、その心は病んでいる。
手術のメスのキズは「創る」と書いて「創(キズ)」と読む。人為的に創られる創だからだ。
それを自分から望むなんてまともな人が考えることじゃない。
普通に素面で、冷静で、健康な精神ならそんな結論は出ない。
先ず、怖いし痛いし、生物的に有り得ない。自分も今なら怖いと感じる。
それを怖いと感じられる今は、それだけ幸せなんだと思う。

知人に、脚を切断した人が居る。
事故とかじゃなく、さあ今から切るぞと。半身麻酔で意識のある中での手術だったと聞いたような憶えがある。
途中で麻酔が足りなくて痛かったとか何とか。
ちょっと定かではないが、もしそうだったっら健康な自分にはちょっと想像できない。
機械が回って、自分の足が切られていく音が聞こえる状態。
丸太を切るように足を切断するなんて、する方もされる方も、日常の感覚じゃない。
切る方も切られる方も、意識の底に深い烙印を押し当てられたことだろう。
切る方はプロの自覚でそれを乗り切っていくのだと思う。
切られる方はどんな心境で横たわっていたのだろう。
夜中に突然、これから手術と言われた時はさすがに慄いたと彼は言う。
でもその手術は彼が切望したものだった。
どんな思いが人に「自分の足を切ってくれ」と言わしめるのだろう。
どんな経験をすれば、恐怖と不安に慄きながらその間おとなしく身を横たえることが出来るのだろう。
人が自分から手術を希望するというのは、決して生易しい状況じゃない。

体を壊すと心が病む。
長くかかれば、折り合いをつける場合もあればいっそう病んでいく場合もある。
痛みとか、不安とか、希望を失うとか、果てしない葛藤とか、段々笑えなくなって、どんどん孤独に苛まれる。
いつまで?いつまで?いつまで?いつまで?と毎日問いながら暮らす。
朝体が覚醒するにつれ痛みも起きる。夜寝る時はこのまま目覚めなければいいと思う。
痛いだけの朝なんか来なくていいとさえ思う。
そんな自分には、眠れるくらいの痛みならまだマシだよ、とか言う場合と比較する気はない。
そうやって万策つきて心が折れるギリギリのところで、手術という決断に至る。
それは、まともな精神では決断できないことだ。
10年前腱鞘炎の手術に臨んだ日、私は期待にワクワクして手術台に乗った。少しも怖くなかった。
たぶん壊れていたんだと思う。
見た目健康な肌にメスを入れる、その狂気じみた行為が甘美に思えるほど、あの頃は疲れていた。
今はもう過去ログしかないが、掲示板に寄せられた書き込みの中にも似たような記述があった。
多くの腱鞘炎患者は体の痛みと共に、心の痛みと闘っている。とても孤独な闘いを闘っている。
~つづく~

|

業務連絡

コメントを新しいものが上に表示されるようにしました。

|

レス

> kansuke さん
 今の状態は非常に選択肢の少ない状態だと思います。遠まわしな言い方ですが、私なら手術を選ぶという意味です。ただリスクもありますから私から「手術を勧める」とは言えないのです。
 デケルバンは仕事をしながら(使いながら)治るという印象がありません。安静にといわれてもあの場所を使わないと人間としての生活ができませんし、装具などで固定してしまうと補ってヘンな風に使って他のところが悪くなります。私の左肘の外側上顆炎は左手のデケルバンを装具で固定して日常生活をしたことで発しました。
 次に大学病院の教授?は手の外科の先生ですか。先生がご自身の中に持ってる手術をする、しないの線引きは今後変わることは無いのかもしれません。これ以上通っても同じでは。
 私が手術を求めたときは廃業の瀬戸際で、リスクを考えても可能性に賭けたい思いでした。手術を勧めてくれた他院と言うのはどういう病院ですか?そこで手術していただける状態ですか?お医者様もよく心得ておられるようであればそこで手術をお受けになるとか。あるいはもう少し手の外科の専門医を探してみてはどうでしょう?どこの先生も迷惑がってはいないと思いますが、ご自分の辞書の中に回答がなく、出来ることがないときお医者さんは困ってしまうのです。

>まりんさん
 まずおっしゃってることが非常に分かりにくいです。ヴァイオリン演奏の際どういう動きをするのか、これは知らない者が文章で理解するのは至難の業です(苦笑)
 でも私の経験した物とは大分違うようですね。同じ経験に関してはお答えできますが、素人ですからそれ以外のことにはなんのアドバイスもできません。ただ、いろいろなことが起こってるように感じます。痺れや痙攣や浮腫…まだ手術直後ということで通常の痛みと異常な痛みが混在しているような。手術された手首とMP関節は同じ側の手ですか?左右を同時に手術してRSDを発症した患者を知っているので、1度に何カ所も切ると言うのは怖い感じがします。人間の体は傷つけられたときにさまざまな反応をします。よくわかりませんが掌などはメスの入れ方を間違えると拘縮を起こすと、主治医が言ってたことがありましたし。手は人間の体の中でいちばん神経が密集していて敏感な場所ですから、浸襲(体を傷つけること)に対して過剰に防衛しているように素人目には映ります。患部以外の痛みは何らかの後遺症と言えるかもしれませんが、と言っても創が治るように時間と伴に癒えていく私のような場合もあれば、RSDのように連鎖反応的に継続する場合もあります。
 とりあえず私の術後です。
・デケルバンに関して:2日目ごろから手をつく、鉛筆を持つ、などが全く違和感なく出来るようになり、糸が突っ張って痛いのに使い始めた。1方で後遺症として患部周囲から親指と人差し指にかけてビリビリと痛み、親指の第2関節とCM関節の間で皮膚感覚がなくなった。1年以上かけて徐々に引いていった。
・バネ指の術後:ここは切ったところを腱が滑って行くので曲げると痛い。デケルバンのようには直後から効果を実感てわけには行かなかった。1ヶ月経っても曲げると痛かった。でも関節が固まるので痛くても動かさないといけない。物を普通に痛みを気にせず摘めるようになったのは2ヶ月以降。今でも思いっきり力を入れて曲げると鈍く痛む。ここを手術して握力が弱くなるという人もいる。でも後遺症の類は一切なく痙攣などもない。
因みにいずれの場合も術後3日で包帯はとれていません。1週間後抜糸をしてとれました。

 創口だけじゃなく内部の触ったところも含めて、落ち着くのに術後1ヶ月かかります。今はまだ結論づけるのは早いでしょう。ただ、どうも神経系の後遺症に対して医学はあまり有効な治療法がないような、聞いたわけではないですがそんな匂いがしますね。

| | コメント (14)

神棚の思い出その2

病院 へ行くと気兼ねなく痛い、辛いと言えた。
それが月一回の貴重なリフレッシュで、カタルシスだった。
病人は病院でだけ堂々と「痛い、しんどい、具合悪い」とネガティブな愚痴が言える。
現実の生活では言ったところでよくなるわけでもなし
しなきゃいけないことはしなきゃいけないし、聞いてくれる人もいないし。
外へ出れば、券売機の前でお金入れるのにモタついたら後ろイライラするよなとか
つり革持てないけど、足底筋膜炎なんだけど、ここでお年寄りより先を争って座れないよなとか
傍から見える通りの健康な若い?人の振りするの大変なんよ。
今はそんなに悪くないんだけど、けっこう当時は主治医に
ストレスをぶつけてしまってたかもしれない。
ゴメンよ、代わりに他の愚痴聞くからカンベンしとくれい … ってそゆことじゃない。
でも定期的にちゃんと病人になれたから、病人なりの日常を過ごすことができた。

このごろは左肘がどうにもわけわからん。
何が起こってんのやら。初めて経験する不思議な感じ。ケナコルト関係あんのかな。
また行って愚痴ってくるってか?(笑)

| | コメント (0)

神棚の思い出その1

更新ネタがないので思い出話など…。

大学病院の看護師さんの話。
ある時期毎月同じ看護師さんが4診(私の神棚の・笑)に詰めていた。
注射などの処置をするときは看護師さんが用意するのだけど患者に話しかけたりもするのです。

看:「髪切られたのね」
桜:「はい(当時は3カ月に1回ぐらい切っていたので、前回からはだいぶ短くなっていた)

はいの後言葉が続かなかったので無理矢理

  「でも白髪が増えましたぁ…・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。というと

看:「私もです」
桜:「へ~!」

この看護師さんはいつも明るい茶色で綺麗に染めていたのでちょっと想像に時間がかかっていたら

医:「私もです」…と先生が参入。

2年ぐらい前だったか当時は全然年相応には見えなくて意外で、改めて凝視

桜:「確かに、白髪出て来ましたね、センセ」

と言ってしまった私。そしたら看護師さんが

看:「そーなのよぅ。横がねえ…」

ってその言い方がまるで母親か奥さんみたいでした(笑)
そんな先生と看護師さんが夫唱婦随な感じの診察室はすごい居心地がよかった。
この看護師さんにはそのうち「若い頃の先生ってどんなでした?モテました?」って聞いてやろうと
思ってたんだけど聞きそびれた。(あはは)
個人病院には大学病院から来た敏腕ドクターに
そんなふうに対等に物を言える看護師さんはいないだろうなぁ。

ところでその後の2年で先生の白髪はすごい勢いで増殖中……

| | コメント (0)

○○天神

4去年6月まで通った大学病院の診察室の話です。
身体に不安を抱え、自分を信じられなくなっている病人にとっては
神仏よりこっちの方がずっと有難く神聖なわけで(笑)
7年間70回以上、数回を除いてほとんどこの部屋で
沢山の安心をもらいました。
病気に関する情報や知識はもちろん、「ワク(=掲載枠)とってちゃんと(原稿)上がるんでしょうね」
と編集に言われた時「はい」と答えるための裏づけとか、
こんな状態で漫画描くのって間違ってないっていう思いとか…。
1回5分とか長くても10分の一般外来ですから、余計なこと考えないようにして
なるべく毎回ニュートラルな心理状態で部屋に入るようにしてました。
自分の性格が人見知りで外へ向かって交流しないので
打ち解けるまでには長い間を要しました。
実はDr.Nも繊細な人で、言葉遣いは気さくだけど人間関係にどこか慎重な間合いを持っていて
それが私のペースに幸いしたのでした

ところで、この部屋は光がいい具合でそれも私を助けてくれました。
南向きで、すりガラスが嵌めてあってやわらかい逆光が蛍光灯を補っていたので、
穏やかな気持ちにさせてくれる部屋でした。
『儀式』―― のようでした。
主治医の異動が決まってここでの受診が最後になるって日、めちゃくちゃ寂しくて
写真に収めました。これは廊下ですが、中の写真も撮ってあります。 
でもその後車を買ってからよく病院の傍を通りがかることがあったのですが、
見事に何の郷愁もわかなかった。
この部屋も中にDr.Nがいなければ何の意味もないのですね。

| | コメント (20)

ミノマイシン

たまに皮膚科へ行きます。

前行った時「10人に1人副作用が出る」と言われつつ貰って来た抗生物質の使用感を、
先生に報告。

「あの薬、ちょっと平衡感覚が狂う感じがありましたけど、あれも副作用なんですかね」

「それはキツイ部類やな。普通はちょっとしんどいくらいやけど、
目眩とかは100人に1人くらいやな」

100人に1人!?動いた後に目が回った時みたいになったけどどすごく軽かったし、あたしってクジ運いいのかしら、なんて思ってしまいました。(←バカ?)

帰って調べてみると、目眩の報告は5%くらいとされてるとか、診てる限りもっと頻度が多いように思うとか言う記述を見ました。この薬は鉄イオンとくっつくとか。あ・・・鉄サプリ飲んでるからかな?Cl、Mg、Alなどとも結合しやすいとか。
なるほどねー、色んな食べ物を食べなさいと言うのがわかりますね。神経伝達物質とかホルモンとか、元を正せば結局そういう地球上にある分子からできていて、ちょっとお薬で何かの分子を阻害されたり、逆に足らないものを補ってやるだけで健康上にいろいろな変化が出るんだなぁ、とちょっとカンドー(笑)

副作用の症状は薬が終わる前に消えました。体が慣れたのか?でももっと酷かったら運転はしない方がいいな。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧